ニューズレター

ニューズレター Vol.10 PDF版はこちら

2014年4月 6日発行

人のつながり
気持ち……そして、ボランティア

news10_05.jpg

 4月1日、「彦根を映画で盛り上げる会」の会長・目加田宗彦さんと副会長・和田一繁さんに逓信舎でお会いする機会がありました。逓信舎は花しょうぶ通りにある古い郵便局の建物(有形登録文化財)を利用した街の駅です。一階がコミュニティーカフェ、二階はシェアオフィスで、「彦根を映画で盛り上げる会」も事務所として利用しています。「彦根を」という目的語が付いていますが、活動範囲は広く、豊郷町をはじめ隣接する市町に及び、私が今、最も注目する団体のひとつです。
 現在、上映中の映画『偉大なる、しゅららぼん』も「彦根を映画で盛り上げる会」(以下、盛り上げる会)が、撮影隊のお手伝いや炊き出しなどを行い、彦根ロケに協力した作品です。昨年、ちょうど今頃、桜満開の彦根でロケが行われたそうです。

news10_03.jpg

会長の目加田宗彦さん

 目加田さんは、「彦根城を中心に映画の撮影が多く行われています。それは、彦根という地域が魅力的だからです。ロケに協力しながら自分たちの暮らしているところは素敵なんだなと再認識できたり、歴史を振り返ることができるのがいいかなと思っています」。
 和田さんは、「滋賀ロケーションオフィスとの繋がりをもてたことで、様々な情報が入って来るようになり、撮影の現場に入ることができるようになりました。そのことが嬉しいですね。自分もその作品に少しでも協力できたという喜びがあります」。お二人は実にいきいきとお話をされます。
 映画の誘致は、都市の観光集客の手段として捉えられることが多く、ほとんどの場合、滋賀ロケーションオフィスや彦根フィルムコミッション室のように、ロケハンやエキストラの手配をはじめ撮影隊への協力など、行政がひとつのセクションを設けて専門的に取り組んでいます。盛り上げる会の皆さんは民間のボランティアであるにも関わらず、煩雑な仕事を「おもてなし」と考え、それぞれ楽しんでおられるところが、まちづくりの新しいカタチです。

news10_04.jpg

副会長の和田一繁さん

 「彦根の飲食店マップを作るなど、ロケ隊に、僕らのできることで、おもてなしをしているのですが、そういうひとつひとつのことをちゃんとやっていると、映画だけでなくその他のジャンルの人にも、彦根に行けば熱烈歓迎、協力してくれるよというのが伝わると思うのです。そうすれば、アートの人やビッグイベントの主催者の方々にも、じゃー彦根に行こうかって思ってもらえると思うのです」と目加田さんは言います。
 「映画を通して僕らのやっていることは、結果として彦根へこられる観光の方々へのおもてなしに繋がっています。そして、映画をネタに人との繋がりがどんどんできていきます。例えば、豊郷町は映画のロケが非常に多い場所ですが、僕らが炊き出しをしたりと協力関係ができています。誰々君に頼もうという個人が繋がっていく世界なんですね。気持ちが大事!気持ちで繋がっているんです」と和田さん。私は、盛り上げる会の方とお話をし、非常にセンスのいいまちづくりです。議員としてお手伝いできることは無さそうですが、一個人として精一杯、参加協力させていただこうと思っています。


失われた!? 西村捨三翁の屋敷門

news10_02.jpg

1957年『彦根東高百二十年史』(808頁)より

 彦根城の桜の美しい季節です。彦根に暮らす人々にとっては見慣れた風景で、変化する自然やまちなみの小さな変化にはあまり気づくことはありません。ところが昨年末、ある人に「彦根東高校の門は何処にいったのですか?確か、西村捨三翁の屋敷門だったと思うのですが……」と問われ、私は返すことばがありませんでした。その門は、内堀から彦根東高校のグランドへ入るところにありました。
 西村捨三翁は、彦根藩士です。
 平成22年(2010)3月19日 彦根駅東口(彦根市古沢町)に竣工した近江鉄道本社ビルの横に「辛苦是経営」の石碑(書は日下部鳴鶴翁)が建っていますが、この五言句は、経営が逼迫するなかで近江鉄道の取締役を10年間務めた西村捨三翁が、明治37年(1904)に職を辞するにあたり残した言葉です。翁は、内務省土木局長、大阪府知事(第6代)を務め、近江鉄道設立に深く関わり、北海道炭鉱鉄道の社長でもありました。沖縄県令を務めたこともあり興味の尽きない人物です。
 現在、西村捨三翁の屋敷門の部材はプール脇に保管されているとのことです。
 私は今、屋敷門の再築について考え始めています。日常を当たりまえのこととして過ごしていると、変化の兆を見逃してしまいます。また、一度失ったものは二度と手に入れることはできません。彦根市や滋賀県、彦根東高校同窓会「金亀会」の事情もあることでしょうし、私、一人の思いでは事態は動くはずもなく、皆さまの知恵をおかしいただければ幸いです。


平成23年 統一地方選挙の自民党選挙公約

 覚えていらっしゃる方も多いと思います。「カット! 2割! 2割! 2割!」のポスターで発表されていました。これは議員報酬、議員定数、職員定数のそれぞれを2割カットするという自民党県連の選挙公約でした。
 議員報酬の2割カットについては当選直後の平成23年(2011)6月定例会に議員提案で即決しました。このことは私、細江の持論とは違っておりましたが、行財政改革を叫ぶ中では「隗(かい)より始めよ(※注)」とのことで可決しました。若くして志を立て、自らの職業を犠牲にして政治家を目指す若手議員には気の毒なことだと思います。
 議員定数の2割カットについては、自民党滋賀県議会議員団の中でプロジェクトチームを作り検討を重ねました。元々条例定数では51人、その2割カットの41人を定数にする。また、人口3万人程度に議員定数1人との考え方を採用して、まず、県内の郡・町は隣接の市と選挙区を合区して見直すこととなりました。定数削減は当該選挙区の現職議員にとっては一大事であります。他会派からは、もっと極端に減らすべきだという発言もありましたが、定数の提案はその数が1違っても一案となり、案の数が多すぎて、結局どれにも決まらないことになります。もっと減らすべきだと言う錦の御旗の下に、口先だけで反対して、結局現状を維持する手法もあります。
 このような状況下、人口と議員数、所謂一票の格差を是正することを最優先で検討し、人口が3万9千人あまりの米原市が定数2人であることから1人へ、次に彦根市選挙区に犬上郡を合区すると現職5人になるところを定数4人に、東近江選挙区へ愛知郡と日野町を合区、近江八幡市選挙区へ竜王町を合区し合計から定数1人を減じ、都合3人を減じる。今回は第一次として現行定数47人を44人にする議員提案を可決しました。
 結果、来年4月の改選から彦根市選挙区は現職が5人から4人になるという私にとってもきびしい状況になります。引き続き、さらなるご支援を伏してお願い申し上げます。

※注 「隗(かい)より始めよ」。 遠大な事をするには、まず手近なことから始めるのがよいということ。


滋賀県議会改革検討委員会報告

 宇賀武議長の諮問を受け、滋賀県議会は、議員8名(途中から9名)で構成する議会改革検討委員会を設置し、会期と定例会の見直しおよび議会基本条例の制定について検討を開始しました。
 私、細江正人は平成23・24年に引き続き、第二次議会改革検討委員会委員として議論に加わり平成25年6月28日に第1回目の会議を開きました。第8回には会期と定例会の見直しについては通年議会を導入することを、議会基本条例の制定については、条例案要綱をまとめ、平成26年1月14日協議調整の経過の報告として、正副委員長から宇賀武議長あてに中間報告書が提出されました。
 平成26年2月18日の第10回までさらに2回の会議を重ね、議会基本条例案のパブリックコメントの検証と、議長から追加で諮問のあった代表質問の在り方について、委員会としての結論を得ましたので報告します。

fig2.png

通年議会制の導入

 定例会の招集回数を年4回から1回に改め、定例会の会期はおおむね4月から翌年3月までとする通年議会となります。
 特徴は年度中に議長の招集で会議を開けるようになったこと。私が行財政対策特別委員長の時に必要と感じた滋賀県奨学資金貸与金の返還滞納に係る少額訴訟の件を知事の専決処分事項に加えられたこと。当面はこのメリットを享受しつつ、現行の議事運営の大枠は変えず、検証の中で見直すべき点は改善することとなりました。
 

議会基本条例の制定

 これまでの議会の活動は、主に地方自治法や会議規則により規律され、会派間の申合せなどがこれを補完してきました。しかし、地方自治法には、議会の活動の基礎をなす議員の法的性格や議会と議員の活動原則が明示されていません。住民との関係強化や政策形成機能の強化という今日的な要請に議会が十分応えるためには、これらの事項を明確化することが必要でした。

fig1.png

代表質問の在り方について

 代表質問は交渉会派を代表して行う一括質問で、一律に1人60分が与えられています。これは24人の会派の代表も5人の会派の代表も等しく60分です。
 私は議員数が違うのに発言時間が同じと言うことに素朴な疑問を持つものです。また、現在は3会派が代表質問を行っていて、同じ質問になれば同じ答弁が繰り返されることになり、これも疑問に思っています。今後代表質問の在り方のみに限定して議論するのではなく、議会機能の強化を模索する一環として検討を行うべきであり、時間をかけて検討する必要があると考えています。
 代表質問に関しては、様々な議会改革の取組の中で総合的に議論されるべき課題であり、今後の議会改革の検証の中で改めて検討すべき中長期的な課題となりました。

委員会室の音響設備の改善

 県庁には行政棟から独立した議会棟がなく、県庁本館2階に委員会室が配置されており、委員会室前の通路は来庁者や職員の通行があるほか、外部からは工事等の各種作業や通行車両の音も届きやすく、静謐な環境にはない。加えて、音響設備が整備されていないため、通常の発声では、委員会室全体にはっきりと声が届かず、議論がかみ合わないことがあるという指摘があり、審議の充実のためには音響設備の導入が必要であるとの結論になりました。

 通年議会の導入については、想定し得ない事態や改善点も出てくることが予想されます。また、議会基本条例については、随時または定期的な見直しが義務付けられています。
 さらに、今後検討すべき課題が残されており、他にも議会が果たすべき機能の充実強化に努め、今後も議会改革の取組については継続的に検証していく必要があります。


想うことなど…

news10_01.jpg

 春爛漫……、今頃は彦根城域で約1200本の桜が咲き誇っている頃でしょう。
 彦根がまだ彦根町だった頃の話です。吉田繁治郎というひとがいました。
 「古い城下町の味をたいせつにし、大きく伸びる町にするには、観光の町として発展させていくのが、いちばんよいのではないだろうか。彦根城一帯に桜の木を植えて、桜の彦根城にしよう。」昭和8年、46歳の繁治郎氏は彦根の将来について、こんな夢をえがきました。繁治郎氏は、桜の苗木を買うための寄付金を集め、ソメイヨシノの苗木、1000本を買い入れて植えはじめたのでした。天守近く、内濠の土手、金亀公園、外濠の道ばた、旧港湾沿いや芹川の土手にも苗木を植えたといいます。
 彦根町は昭和12年彦根市となり、「桜の彦根城」を観光の名所として全国に宣伝します。そして、昭和28年、桜を植えることを思い立ってから20年、永年の努力が認められ彦根観光協会から繁次郎氏は表彰を受けました。
 ところで、ソメイヨシノの寿命は60年〜70年といわれます。国宝や重要文化財の指定を受けた彦根城内では、土を掘り返して新芽を植え替えることは難しく、市民団体「ひこね桜守」(代表山内勉氏)は、2004年より花が咲く前と咲いた後に肥料をやることと、テングス病などの病気を早期に発見して、樹医と一緒に治療しています。現在も、彦根市文化財課・レイカディア大学の方々と共に「ひこね桜守」の運動を続けています。
 彦根城の世界遺産登録を無理だからと最初から諦めている人に出会うこともありますが、繁治郎氏の桜、ひこね桜守、彦根を映画で盛り上げる会の活動のように、夢を諦めない人々のボランティアによって、現在の彦根があります。私は、諦めるのではなく、まず、皆で取り組む勇気が世界遺産登録にも必要なのではないかなと想っています。

ニューズレター Vol.10 PDF版はこちら