ニューズレター

ニューズレター Vol.20 PDF版はこちら

2018年1月14日発行

謹賀新年

旧年中は何かと大変お世話になりありがとうございました
本年もどうぞよろしくお願いいたします

井伊直政公全国デビュー

hosoe20_1.jpg

大東義徹顕彰碑(日下部鳴鶴書)。彦根市里根町天寧寺に明治38年建立。大東は近江鉄道株式会社初代社長も務めている。

 昨年のNHK大河ドラマは「おんな城主 直虎」でした。戦国時代、井伊家本願の地、遠江国の当主を務め、「女地頭」として戦国の世を生き抜いた井伊直虎の生涯を描いた作品でした。
 菅田将暉さんが演じた井伊直政や、高橋一生さんが演じた小野政次が印象的でした。直政の「直」は井伊家の通字、「政」は政次の政。直虎、直親、政次のドラマ仕立てに、なるほどと感心いたしました。
 そして、何よりいままでほとんど注目されなかった井伊直政という武将を全国の人々に知っていただくことができ、たいへん嬉しく思いました。
 また、「おんな城主 直虎」の放送をきっかけに、琵琶湖と浜名湖の湖の北に、近江は「オコナイ」、遠江は「おくない」と呼ばれる祭礼が今も行われていることを知りました。『井伊家十四代と直虎』(彦根商工会議所編 サンライズ出版)に詳しく書かれていました。
 「おくない」は豊かな芸能をともなった修正会で、僧侶のかかわりがほとんど見られず、高度な芸能を村人が自ら伝承しています。この点、近江の「オコナイ」、特に村人を中心とした湖北地域の「オコナイ」と見事な共通点があります。
 年を重ねたせいか、大河ドラマから地域のことを学び直すことに面白さを感じています。

近江西郷と呼ばれた男

 本年の大河ドラマは、「西郷(せご)どん」です。明治維新の立役者・西郷隆盛を描いた作品で、井伊直弼を佐野史郎さんが演じます。この大河では直弼はあまりよくは描かれないでしょうが、佐野さんの役作りに期待したいと思います。
 私の注目は、大東義徹(おおひがしぎてつ)、「近江西郷」と呼ばれた人物です。
 天保13年(1842)7月、彦根藩足軽の小西貞徹の次男として生まれ、幼名を寛蔵、のちに信左衛門と名のります。砲術を学んで才能を磨き、大政奉還直後には彦根藩は新政府の側に立つべきと主張しました。戊辰戦争では、彦根藩の軍事方として、東北地方まで転戦しています。明治の戸籍編成のとき、大望を抱く身としては「小西」という姓は相応しくないと「大東」と改めています。
 明治4年(1871)、岩倉具実に従い大久保利通らとともに欧米諸国を視察。帰国後、司法省の役人となります。明治6年(1873)に西郷隆盛が征韓論争に敗れると、大久保と袂を分かち、彦根に戻り、西村捨三・石黒務・外村省吾らとともに、明治8年(1875)彦根議社(のち集議社)民権結社を結成します。明治10年(1877)に西南戦争が起きると、大東は鹿児島の西郷に呼応して同志を集め明治新政府に対抗しようと図りますが、警察に身柄を拘束されてしまいます。明治23年(1890)の第1回総選挙で衆議院議員に選ばれ、第1次大隈重信内閣で司法大臣に任命されます。大東は、風貌が西郷隆盛に似ていたことや豪胆な性格と深い知識、西南戦争で西郷に呼応したことで「近江西郷」と呼ばれたのでした。
 果たして、「西郷どん」で、近江の西郷どんが登場するのかどうか……。  

明治維新150年

hosoe20_2.jpg

宝蔵寺観音堂(静岡県浜松市北区引佐町渋川寺野)。宝蔵寺の山号は「直笛山」。弘治元年(1555)、直虎の許嫁の亀之丞(井伊直親)が信州から井伊谷へ帰る際に「青葉の笛」を寄進したことによると伝わる。

 2018年は明治維新150年です。  彦根にとって明治は苦難の時代でした。廃藩置県後の彦根は、失業し収入の途を絶たれた武士が転出し、明治10年代はじめの人口は士族が9569人(江戸時代の半分以下)、平民は1万2360人で江戸時代の60%と激減しています。
 ——明治十年(1877)に刊行された奥田栄世編『滋賀県管内地理書』は、「彦根は管内第一の城市」としながらも、廃藩ののち町場は徐々に衰えて人口も減り、巨大な城郭建築は今なお存在するが、日ましに荒廃するのみであると述べている。また、同書は、人民は「質素にして温柔なり」と記しているが、廃藩以来の彦根城下の荒廃や人々の「温柔」さ、あえて言うならば進取の気性の乏しさは、この時期の新聞や政府官員の視察報告書にも共通して指摘されている。| (新修彦根市史 第三巻 通史編 近代)
 このような状況のなか彦根の近代化と経済の復興に、旧彦根藩士と近江商人(彦根の経済人)は多額の費用を投じ、蒸気船を建造し、港や鉄道、学校をつくり、町民も一丸となって魅力的なまちづくりに尽力したのです。
 私は明治を輝かしい時代と捉えてはいません。明治は多くの犠牲の上に成り立ち、日本は新興国の苦悩を抱えて、昭和の戦争へとつながっていきます。
 また、本年は平成31年5月に「平成」から新元号に変わる歴史的な年でもあります。大きく時代が動く予感を誰もが感じておられることでしょう。今、日本は世界が経験したことのない高齢化と人口減の最中にあり、地方都市は、生き残りをかけて鎬を削っています。私は、二つの湖北に受け継がれる神事や明治の彦根の在りようを通し、政財界も住民も、それぞれ自分自身の立ち位置と頭で、自分たちの地域を暮らしやすくするためにどうするか考え行動する未来が必要だと痛感し、私もまた自立したその一人でありたいと願っています。
 実は私、今年は人生6度目の年男です。これまでの多くの体験を糧として、死ぬまで元気に世のため人のため、より一層精進してまいりたいと考えております。
 どうか、本年も、ご支援賜りますようお願い申し上げます。

「琵琶湖が美しくあるために」

2017年11月定例会議 細江正人 一般質問

hosoe20_3.jpg

 本県では、平成4年に「滋賀県ごみの散乱防止に関する条例」が制定され湖岸の美観の保持に努めている。
 また、平成24年9月18日の豪雨のあとの大量の漂着物の対応を巡って、平成25年2月本会議で、私が議論したことに応えていただき、当局では琵琶湖岸漂着物美化活動研究会を立ち上げ、平成27年3月には成果物として「琵琶湖岸漂着物等実態把握調査報告書」が琵琶湖環境部循環社会推進課から出された。この調査研究の報告を受け、みんなで琵琶湖岸漂着物をきれいにするしくみ、「琵琶湖岸環境美化活動の手引き」が作成されたものと理解している。
 本定例会議(平成29年12月11日)では、「琵琶湖が美しくあるために」と題して、ボランティアの活動推進と、新しい公共としての活用を願って以下の15の質問を試みた。

琵琶湖が美しくあるために~ボランティアの活動推進を~について

  1. 社会生活基本調査におけるボランティア活動率が全国1位となったが、どういった活動が活発に行われているのかその状況を問う
  2. そのことをどのように分析されるのか所見を問う
  3. 琵琶湖岸への漂着物撤去の所管部局について
  4. 市町との連携の実態について
  5. 環境事務所との関係について
  6. 台風5号の対応で迅速に補正予算が編成されたが、循環社会推進課との連携はあったのか
  7. 琵琶湖の流木処理の手引きでは環境事務所が窓口となるが、困っていることはないか
  8. 琵琶湖の流木は一般廃棄物として焼却しているようだが、有価物として再利用することはできないのか
  9. 台風など大雨による漂着流木の焼却の現状について
  10. 木質バイオマス発電に活用している例があるのか
  11. 漂着流木の木質バイオマス発電等エネルギー利用への課題は何か問う
  12. 平成25年2月定例会で関係10市の共通課題として取り組むよう呼びかけるとの答弁を得ている、経過および結果を問う
  13. 琵琶湖の基準財政需要額を見直す根拠を示し、上積み額を琵琶湖の保全再生のための財源としてはどうか
  14. 湖岸漂着物の早期撤去に向けた協力依頼に呼応してきた団体数と、その後の活動状況について
  15. ボランティアの湖岸美化活動などについての知事の思いを伺う

 質疑について詳しくは、滋賀県議会のウェブサイトをご覧ください。

彦根駅西口の1階に改札口を!!

hosoe20_4.jpg

 平成27年8月に細江正人NEWS LETTERの紙上で「彦根駅西口の1階に改札口を」と書いたところ、多くの皆さまの応援をいただき、平成28年4月から要望書の署名活動を始めました。6月17日に彦根市長と滋賀県知事の副申をいただきJR西日本京都支社に要望に行ったことは平成29年3月の細江正人NEWS LETTERで報告のとおりです。
 設置の見込みについて、時々思わぬ人からも経過を問われますが、「難しく困難な状況」にあることに変わりはありません。
 粘り強く運動を展開し、思いを実現するために今回は、彦根市へ要望するのは勿論、大久保貴彦根市長、中沢啓子県議会議員に同行いただき平成29年12月27日午前9時にJR西日本(西日本旅客鉄道株式会社)彦根駅へ陳情に訪れました。
 大久保貴彦根市長から彦根市として、私は通勤通学の利用者の代表として、昨年に引き続き要望を行ってまいりました。 対応いただきました彦根駅営業総括助役布施重樹様には「京都支社にもお願いに行きたいので取り次いでいただきたい」と要望いたしました。

城下町 旧町名の復活を!!

 昨年は「国宝・彦根城築城410年祭」が開催されましたが、彦根の城下町の完成は1621年頃といわれています。彦根城の世界遺産登録推薦の目標年である2021年は、ちょうど彦根城惣(総)構え完成400年となります。「惣構え」は、城のほか城下町一帯も含めて外周を堀や石垣、土塁で囲い込んだ城郭構造をいいます。
 石川県金沢市では1999年に、全国に先駆けて市議会において、「町の名称の変更」(旧主計町、旧飛梅町および旧下石引町)を議決、2004年には「金沢市旧町名復活の推進に関する条例」を施行しています。大分県豊後高田市、富山県高岡市でも実際に旧町名が復活し、その他様々な市町で旧町名の復活が検討されたり、運動が行われています。
 「旧町名は地域の歴史遺産として貴重な文化財」です。大字・小字名と同じように町名はその土地の成り立ちを物語る貴重な記憶です。
 私の父細江敏は彦根市内に名所・旧跡・句碑・歌碑など私費を投じ60基を建て、彦根史談会として市内の旧町名のプレートを設置しました。当時の資料も残っております。世界遺産登録推薦の目標年、彦根城惣構え完成400年を目指し、旧町名や御門を記した「彦根城惣構えマップ」の作成や、旧町名復活プロジェクトを立ち上げたいと思います。
 彦根城世界遺産登録を盛り上げる一助となるかもしれません。ご賛同いただけましたら、こちらまでご一報をお願いいたします。

彦根城世界遺産登録とその覚悟

 昨年11月26日、「彦根城世界遺産講演会(彦根市主催)」が彦根城博物館能舞台で開催されました。記念講演「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群 世界遺産登録10年の経験から」に引き続き、「意見交換・応援1000人委員会の立ち上げに向けて」が行われ、彦根城の世界遺産登録に向けて俄に活気づいてきた様子です。私は、世界遺産は、本当に世界に誇ることができる彦根の都市ブランドとして登録には大賛成であり、協力は惜しみません。
 この講演会で画期的だったことは、世界遺産登録までのスケジュールが明確になったことです。

  • 2019年までに推薦書原案を提出(目標)
  • 2021年までに推薦(目標)
  • 2024年までに世界遺産に登録(目標)

 1992年、彦根城は、世界遺産暫定リストに登録されて以来26年が過ぎ、文化庁は以下の課題を解決するよう、彦根市に求めていました。

  1. 既登録資産である姫路城との差別化
  2. 国内外の類似資産との比較
  3. 開発が進んだ市街地をいかに城下町と特徴づけるか

 彦根市は「これらの課題に集中的に取り組み、昨年度、複数の研究報告書によって解決し、日本政府が世界遺産委員会に推薦できるような推薦書原案を、学術検討会議における議論のもとに作成中です。世界遺産登録を目指すことは、文化と芸術の源泉であった彦根城と城下の自然との融和・共存を維持し、新たな事業と市場を展開し、文化活動を誇るまちにすることで地方創生につなげていかなければなりません。市民の方々の意見を伺い、議論しながら、官民一体となって一日も早く彦根城とその関連資産の世界遺産登録を目指したいと思います」(彦根市ウェブサイトより抜粋)。
 推薦書原案がどのようなものであるのかはまだ判りませんが、世界遺産は登録するだけではなく、人類の遺産として守っていかなければなりません。彦根城とその関連資産の登録に関するテクニカルなことは専門家に任せるとして、遺産を守っていく覚悟があるのかどうかが問われているのです。
 大久保貴彦根市長のリーダーシップに期待し、私たちは世界遺産登録に向け「新たな事業と市場を展開し、文化活動を誇るまちにする」ことに、共に知恵を使い、行動していきましょう。

ニューズレター Vol.20 PDF版はこちら