想うことなど……
言葉が通じない
人は大抵の場合、言葉を使いコミュニケーションをとっています。以心伝心……漢字で書くと言葉を発する時よりもその意味するところがよく解り、コミュニケーションの究極の在り方のような気もいたします。
人は言葉で思考します。語彙が多ければ多いほど、論理的なより深い思考が可能となり、微妙なニュアンスを伝えることもできるようになるのでしょう。最近は語彙と言うよりボキャブラリーと言った方が理解し易いかもしれません。
ところがです。市議会議員に当選して以来、「言葉が通じない」、「解らない」場面に度々遭遇します。IT系の会議、環境系の会議、経済系の会議、それぞれ独特の言葉が飛び交っています。私は、解った振りをせずその場で聞き直し、ひとつひとつ納得し、理解できるよう心がけているつもりですが、それでも議論が深くなると専門用語の端々の繋がりが曖昧になることが実に多く、どうしたものかと考え込むこともしばしばです。
そして、若者と言葉が通じない。立っている場所、経験が異なるので、同じ言葉でも異なった使い方、理解の仕方が生じているようです。勿論、私がやっと理解したワンセグ、ポッドキャストなどという単語を自在に使う世代ですから尚更のことかもしれません。
例えば「個性」。基礎学力の上に積み上げた英知、経験により培われる創造的なオリジナリティーが個性だと私は思っていますが、単に人と異なっているコトも個性でしょう。言葉の幅が、どうも「通じない」原因を作っているように思います。
以心伝心……。ガンダムのニュータイプのようなわけにはいきません。「心を尽くして、心を伝える」ことが現代にこそ必要な「以心伝心」なのではと想ったりしています。焦らず、急がず、時間の許すかぎり話すコト。言葉の幅を埋める努力をする。そして、少しでも理解できたなら、次から同じ言葉を使う時には相手を思い遣り、必ず逃げ道を作り追い込まないよう逆に幅を持って話すコト。
言葉が通じない今、そんなふうにしながら共通の言葉をひとつひとつ私のなかに留めていければいいなと想っています。
しかし、よく考えると「言葉が通じない」と思われているのは、私自身かもしれませんね。