想うことなど……

妖怪と地名、そして彦根城の世界遺産登録

2019.01.27

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 科学技術が進歩する一方で、妖怪がブームで、新しい妖怪もたくさん生まれているようです。滋賀県の妖怪に詳しい私の知人によると、地名にも妖怪が潜んでいるのだそうです。有名なのが東京の代田橋。ダイダラボッチがかけた橋が地名の由来といいます。滋賀県で面白いのは湖東地域では東近江市の「佐目」と教えてもらいました。
 現在、佐目町は国道421号線(八風街道)永源寺ダムのトンネルを越えたところにありますが、もともとの佐目の村は永源寺ダムの湖底に沈んでしまいました。そして佐目の村はかつて「かねの村」といいました。顔は牛、足は馬、尾の先に剣があり、総身は金針で覆われた「怪牛」という妖怪に襲われたとき、村を救ったのが「左目の隻眼の童子」でした。童子は川原の石に口から炎を吹きかけ、怪牛に投げつけて追い払いました。以来、「かねの村」を左目の童子にちなみ、「左目の村」と呼ぶようになったのだそうです。「左目の隻眼の童子」は、妖怪でいうところの一つ目小僧です。  一つ目小僧は、製鉄・鍛冶・鉱山・精錬に深い関わりを持つ妖怪で、鍛冶神「天目一箇神(あめのまひとつのかみ)」に由来するといわれています。佐目の氏神は若宮八幡神社です。境内社に「御金明神(塔尾金神)」があり、ご祭神は金山姫命で、鉱山の神、鋳物や刃物の神です。
 実際に、佐々木六角による白銀探査と発掘が行われていたり、閉山になった鉱山がいくつもあるそうです。永源寺はかつて鉱業が盛んで、炭は精錬にその多くが使われたに違いないということでした。
 私はこの話を聞き、妖怪から集落の産業を推測できることに驚きました。そして、町名や大字小字名は大切に語り継いでいかなければならない、また何かのきっかけで振り返ろうとしたときに、調べることができる痕跡を残しておかなければならないと思った次第です。

 昨年、彦根市では世界に開かれた美しいまちを目指し、彦根城とその関連資産の世界遺産登録に向けて、市民をはじめ、文化、教育や経済に関わる方々が、個人として自由に意見交換するため、「彦根城世界遺産登録 意見交換・応援1000人委員会」が設立されました。私もメンバーの一人として参加しています。
 江戸時代、彦根市は井伊氏の城下町でした。藩政時代の町名を記したプレートは昭和56年(1981)頃、彦根史談会のメンバーだった私の父、細江敏が設置したものです。伝馬町、伊賀町、白壁町、百石町、御歩行町(おかちまち)、水流町、大工町、鍛冶屋町、七十人町、油屋町、鷹匠町、餌指町、連着町、桶屋町、下魚屋町、職人町、上魚屋町、四十九町、石ヶ崎……。ちなみに、四十九町(現在城町一丁目)は豊郷町四十九院から移り住んだ人たちの町、石ヶ崎町(現在城町二丁目)は、石田三成が統治していた頃、佐和山の麓にあり、彦根城築城時に移り住んだ人たちの町です。そして、面白いことに、石田三成時代の石ヶ崎には鍛冶を生業とする者が多く、江戸時代の石ヶ崎には一つ目小僧の伝承が残っているのだそうです。
 最近ではこのプレートもほとんど失われてしまいました。城下町の歴史を振り返ることのできる町名をもっと多くの方に知っていただく方法はないものかと思案し始めました。ほんの少し彦根城の世界遺産登録を盛り上げることができるのではないかと思っています。ご支援いただければ幸いです。