ニューズレター

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2019年3月 2日発行

道徳なき経済は罪悪であり、経済なき道徳は寝言である

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金次郎は薪を背負い、寸暇を惜しんで「論語」「大学」「中庸」などを独学した。

 「道徳なき経済は罪悪であり 経済なき道徳は寝言である」は二宮金治郎(一般的に金次郎)の言葉である。薪を背に読書するあのスタイルは「辛苦勉励」の精神を伝えるシンボルだが、金次郎に学ぶものは多く、そして深い。
 金次郎は天明7年(1787)に神奈川県小田原市で生まれた。日本は江戸時代の半ばをすぎた頃で、高度成長期が終わり、人口は減少傾向にあった。現代と似ている。
 裕福な農家に生まれた金次郎だが、少年時代に田畑と家が災害で没落、追い討ちをかけるように父母を失い一家離散したが、没落した家を独力で甦らせた。その評判は広まり、財政窮状に陥っていた奉公先から建て直しを命じられ、見事に復興を成し遂げる。やがては小田原藩の分家の再興までをも手がけた。現代でいう農村地区の経営コンサルタントとして、金次郎が生涯に再建指導したのは大名や旗本、商人、農民など600を越えるという。
 金次郎は大名、旗本といった領主として搾取する側の財政再建においても、搾取される側である農民たちの負担を高めるのではなく、農民たちの力を強めることを通じて再建を実現しようとした。
 無駄を省いた合理的な生活、自分たちの収入に応じた範囲内での収入と支出のバランスがとれるような指導、無利子の金融システムの構築……。よく働くものを表彰し、商品を与えることなどで意欲の喚起・向上を促すようにした。金次郎は、管理役所側も農民側も豊かになる方向へ導くための仕組みづくりに努めたのだ。

 「道徳なき経済は罪悪であり 経済なき道徳は寝言である」この言葉は、時を経ても深く考えさせられ、様々な場面で新たな解釈の発見がある。
 簡単にいえば、「お金儲けだけでは駄目、きれいごとだけでも駄目」ということなのだ。口先だけの政策は寝言。金次郎はそこを道徳といっているのが奥深く、考え尽くさなければならないのである。道徳なき働き方改革も同じである。
 倹約の精神の模範としても知られる金次郎だが、「けち」は最大の「悪」としている。倹約は、社会的に認められる何らかの目的のために貯蓄をする事で、その目的遂行に必要なときには、何の躊躇もなく支出できなければ、倹約者とはいわないというのだ。

 昭和14年(1939)日本が無謀な戦争に突入する前後から、二宮金次郎像の建立が盛んになった。金次郎の勤勉・倹約の姿がクローズアップ、象徴化され、国策に利用されてしまったのだ。その像も近年、歩きながら本を読むのは危ない、子どもを働かすとは何事ぞと、次々に姿を消していった。今も残る金次郎像は「悪いことをすると、夜、動き出す」などといわれる始末である。
 現代、新たに金次郎に学ぶことは多いのではないだろうか。

 

 私は平成26年度9月定例会において、「介護保険はビジネスモデルであり一方的な施しの福祉ではダメなのではないでしょうか。〝二宮尊徳先生の教えに道徳なき経済は罪悪であり、経済なき道徳は寝言である〟とあります。介護・福祉もビジネスモデルとして持続可能でなければならないと考えます」と二宮金次郎の遺した言葉を引用しました。私はこの言葉を深耕し、是々非々で判断をしていきます。

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