ニューズレター

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2019年1月27日発行

2019年、想うことなど

 新しい年が始まり、もうすぐ立春。立春は冬から春への節目の日です。旧暦では1年は立春から始まります。本年もどうぞよろしくお願いいたします。ちなみに、節分は立春の前日で、1年を締めくくる日ですから厄払いをするのですね(旧暦で物事を考えるのも私が最後でしょうか)。

科学・技術の進歩

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 昨年は大阪府北部を震源とする地震、北海道胆振東部地震など自然災害の恐ろしさをまざまざと見せつけられました。滋賀県でも、7月の42年振りの豪雨(2時間最大雨量274ミリ)、8月の多景島・題目岩の崩落。10月の台風21号では彦根城や鎮守の木々をなぎ倒す最大瞬間風速46.2メートルの突風が襲いました。その爪痕は今も残っています。失ったものは二度と元には戻りません。災害によりお亡くなりになった方々にお悔やみを申し上げるとともに、被災された皆様には衷心よりお見舞い申し上げます。また、今このときも、各地で復興に尽力されている皆様に深く敬意を表します。
 さて、新年の報道をみておりますと、AI(人工知能)、Big Data(Data Science)、IoT(モノのインターネット)、ICT(情報通信技術)など、世界は超スマート社会へと変貌を遂げる真っ只中にあるようです。1950年、アイザック・アシモフが執筆した『われはロボット』に有名なロボット工学の三原則が記されています。アシモフの想定した世界は2058年でした。そして通信ネットワークに覆われ、膨大な情報が世界を駆け巡る超高度情報化社会を描いた作品は士郎正宗の『攻殻機動隊』。1989年の作品です。人間の想像力に現実が追いつこうとしています。
 地球の気象状況の変化は明白であり、地震は活動期に入っています。超スマート社会に相応しい今までよりステージアップした防災・減災対策と、万が一被災した場合、AI、IoT、ICTを駆使した確かな復興計画が必要です。科学技術の進歩は人類の幸せとイコールでなくてはなりません。私は議会においてこの点を注視していきたいと思います。

妖怪と地名、そして彦根城の世界遺産登録

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 科学技術が進歩する一方で、妖怪がブームで、新しい妖怪もたくさん生まれているようです。滋賀県の妖怪に詳しい私の知人によると、地名にも妖怪が潜んでいるのだそうです。有名なのが東京の代田橋。ダイダラボッチがかけた橋が地名の由来といいます。滋賀県で面白いのは湖東地域では東近江市の「佐目」と教えてもらいました。
 現在、佐目町は国道421号線(八風街道)永源寺ダムのトンネルを越えたところにありますが、もともとの佐目の村は永源寺ダムの湖底に沈んでしまいました。そして佐目の村はかつて「かねの村」といいました。顔は牛、足は馬、尾の先に剣があり、総身は金針で覆われた「怪牛」という妖怪に襲われたとき、村を救ったのが「左目の隻眼の童子」でした。童子は川原の石に口から炎を吹きかけ、怪牛に投げつけて追い払いました。以来、「かねの村」を左目の童子にちなみ、「左目の村」と呼ぶようになったのだそうです。「左目の隻眼の童子」は、妖怪でいうところの一つ目小僧です。  一つ目小僧は、製鉄・鍛冶・鉱山・精錬に深い関わりを持つ妖怪で、鍛冶神「天目一箇神(あめのまひとつのかみ)」に由来するといわれています。佐目の氏神は若宮八幡神社です。境内社に「御金明神(塔尾金神)」があり、ご祭神は金山姫命で、鉱山の神、鋳物や刃物の神です。
 実際に、佐々木六角による白銀探査と発掘が行われていたり、閉山になった鉱山がいくつもあるそうです。永源寺はかつて鉱業が盛んで、炭は精錬にその多くが使われたに違いないということでした。
 私はこの話を聞き、妖怪から集落の産業を推測できることに驚きました。そして、町名や大字小字名は大切に語り継いでいかなければならない、また何かのきっかけで振り返ろうとしたときに、調べることができる痕跡を残しておかなければならないと思った次第です。

 昨年、彦根市では世界に開かれた美しいまちを目指し、彦根城とその関連資産の世界遺産登録に向けて、市民をはじめ、文化、教育や経済に関わる方々が、個人として自由に意見交換するため、「彦根城世界遺産登録 意見交換・応援1000人委員会」が設立されました。私もメンバーの一人として参加しています。
 江戸時代、彦根市は井伊氏の城下町でした。藩政時代の町名を記したプレートは昭和56年(1981)頃、彦根史談会のメンバーだった私の父、細江敏が設置したものです。伝馬町、伊賀町、白壁町、百石町、御歩行町(おかちまち)、水流町、大工町、鍛冶屋町、七十人町、油屋町、鷹匠町、餌指町、連着町、桶屋町、下魚屋町、職人町、上魚屋町、四十九町、石ヶ崎……。ちなみに、四十九町(現在城町一丁目)は豊郷町四十九院から移り住んだ人たちの町、石ヶ崎町(現在城町二丁目)は、石田三成が統治していた頃、佐和山の麓にあり、彦根城築城時に移り住んだ人たちの町です。そして、面白いことに、石田三成時代の石ヶ崎には鍛冶を生業とする者が多く、江戸時代の石ヶ崎には一つ目小僧の伝承が残っているのだそうです。
 最近ではこのプレートもほとんど失われてしまいました。城下町の歴史を振り返ることのできる町名をもっと多くの方に知っていただく方法はないものかと思案し始めました。ほんの少し彦根城の世界遺産登録を盛り上げることができるのではないかと思っています。ご支援いただければ幸いです。

観光とアプリ

 昨年末、いつでもどこでも、ひこにゃんと記念写真を撮ることができる「ひこにゃん WITH」というアプリが発売になりました。なかなか楽しいものです。現実の世界にバーチャルのひこにゃんを重ねることで、実際にはあり得ない写真を撮ることができるのです。ダウンロードに240円が必要ですが、特典としてひこにゃんの画像1ポーズが手に入ります。これだけでも十分に楽しめますが、彦根市内に設定された10のポイントを訪れれば、ひこにゃんの10種のポーズを手に入れることができます。彦根城内に3カ所、城下町に6カ所、そして佐和山にポイントがあります。私も久しぶりに城下町を歩きました。
 平成28年「彦根市観光に関する経済効果測定調査報告書」によると、彦根城入山者数は786,200人、夢京橋キャッスルロードへの来街者は272,000人。彦根城を訪れた観光客全員が必ず城下町(市内商店街)を訪れるとは限らず、また年々城下町への来街は減っています。
 観光消費は滞在時間に比例します。城下町を歩きひこにゃんと記念写真を撮ることができるアプリは滞在時間を延ばすための一つの可能性と考えます。また、撮影した画像はSNSに投稿可能といいますから、彦根の広報にも繫がります。
 誰もがスマートフォンを携帯し移動する時代です。湖東地域の外国人観光客は急増しています。外国語表記の案内版などの設置は急務ですが、将来を考えるとネット環境の整備と外国人観光客のためのルート案内アプリの開発を急ぐことが得策であると考えています。最新の情報を提供することができ、経年による劣化もありません。また、歴史観光は、事前学習がその楽しみを何倍にも増幅してくれます。「長崎さるく博」は多く注目を集め歴史観光の先駆事例として語られてきました。それは、「語り部」ガイドが観光客の事前の学習負担を軽減する役目を果たしたからです。
 丁寧なコンテンツ解説、ルート案内、移動時間、交通手段、食のルールを明確にした店舗案内、宿泊施設案内など、使い勝手のよいアプリは観光戦略として強力なツールとなるでしょう。多言語の案内版も必要のない時代がそこまで来ていることにこそ、私たちは焦りを覚えなくてはならないのです。

ひこにゃん WITH 公式サイト

国指定重要文化財 大洞弁財天

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 正月13日、彦根市の大洞弁財天(長寿院)で厄祓大祭が営まれ、家老役の青山裕史さん(バイオディーゼル 油藤商事株式会社 専務取締役)とともにご奉仕させていただきました。私はお殿様役でした。この大祭は、昭和42年に始まり、今年で53回目。午前午後2回の餅まき神事、護摩焚き神事など貴重な経験をすることができました。
 大洞弁財天は井伊家第4代当主直興の発願で領民の寄進と多額の藩銭で建立されました。弁財天堂の元禄8年(1695)建立の棟札は国指定の重要文化財です。直興は元禄元年(1688)、徳川綱吉から日光東照宮修復普請の惣奉行を命じられ3度にわたり日光に滞在し工事を指揮しています。弁財天堂は、日光東照宮を修造した甲良大工によって建てられ、権現造りの本堂は「彦根日光」とも呼ばれています。権現造りというのは、本殿と拝殿を一体化し、その間に一段低い「石の間(相の間)」を設ける様式で、東照大権現(徳川家康の神号)の名をとって権現造りといいます。直興は、日光東照宮を見て心底感動したのでしょう。甲良大工の手による素晴らしい建物を領民にも見せたかったのかもしれません。阿弥陀堂には眠り猫の彫刻もあります。
 大洞弁財天堂には何度も訪れ、その度に不思議に思い気になっていたのが、鯰(ナマズ)の彫刻でした。お殿様役を仰せつかったこともあり調べてみました。  鯰は白蛇とともに弁財天のお使いと考えられていたのです。琵琶湖で全身が金色(黄色)の「イワトコナマズ」が捕れると、「弁天さまのお使い」「弁天ナマズ」と崇めたそうです。極彩色だった弁財天堂の鯰は、ひょっとしたら金色に輝いていたのかもしれませんね。

県外行政調査レポート: ディスカバーリンクせとうち

 私は常々、まちづくりは人生のドラマであり人びとの願いをプラスに作用するようにまとめていくことが肝要と考えております。昨年11月14日に特別委員会県外調査で広島県尾道市を訪れ、瀬戸内エリアにおける「ディスカバーリンクせとうち」の取り組みについて調査しました。

ONOMICHI SHARE(オノミチ シェア)

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オノミチシェアでのミーティング

 まず、会場となった「ONOMICHI SHARE」は、海沿いの倉庫をリノベーションした空間「働」と「遊」が一つになったシェアフロアです。様々なジャンルの人たちが集まり、場所やアイデアを共有し、新しい創造が期待されています。「シェアフロア?」 私の世代にはピンときませんが、コワーキングスペースとも呼ばれ、実際に都会では需要がどんどん高まっているようです。就業形態・ライフスタイルの変化でその注目度が上がってきているのでしょう。
 極端なことを言いますと、特定の職場を必要としない働き方をしている人にとっては、旅先のオフィスにすることもできるというわけです。Iターン、Uターンを目的とするのではなく、交流人口の増大や人材獲得のための手段として有効ではないかと考えます。

ディスカバーリンクせとうち

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尾道デニムプロジェクト

 ディスカバーリンクせとうちは、まちに事業と雇用を創出して瀬戸内の未来を育てていくことを目的に、平成24年6月に設立された株式会社です。
 株式会社ですが、利益を第一に追求するのではなく、地元の人が残したいと考える風景や建物、人との関わりあいを考え、まちづくりそのものを次世代に引き継いでいくための継続した事業が展開されています。
 具体的には、海運倉庫施設をサイクリストに必要なサービスやレストラン、ホテルなどの設備が揃った複合施設として再生した「ONOMICHI U2」、尾道の暮らしや文化を体験しながら働くことのできるシェアオフィス「ONOMICHI SHARE」、尾道や鞆の浦に残る伝統的な建造物を町屋に再生した「せとうち湊のやど」、広島県東部に位置する備後地方で作られるデニムと尾道のまちの魅力発信を目的にした「尾道デニムプロジェクト」、その他「伝統産業プロジェクト」、「尾道自由大学」、「ベターバイシクルズ」などです。
 それぞれの事業の考え方やノウハウは彦根のなかにもその萌芽はすでにあり、個々の事業には優れたものがあると私は思います。
 ディスカバーリンクせとうちに学ぶべきところはコンセプト管理とデザイン、そして民間資本・金融・行政の協働ではないでしょうか。

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