ニューズレター

ニューズレター Vol.23 PDF版はこちら

2018年11月18日発行

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小田輝子先生、井伊直弼公の和歌集『𫞉廼四附』出版!

 小田輝子先生(91歳)は私の中学時代の恩師です。10月29日、井伊直弼公の誕生日に、先生が手がけられた直弼公の和歌集『𫞉廼四附』の「影印本」と「翻刻本」の2冊の書籍ができあがりました。『𫞉廼四附』は、勅撰和歌集の形式にならって直弼公が自ら編集された、直筆の上・下二巻の歌集です。春夏秋冬、恋、羈旅(和歌・俳句の部立の一つ。旅情を詠んだもの)、祝賀、雑之部に分類され、『𫞉廼四附』は、「柳の雫(しずく)」の意味で直弼公が好んだ柳にちなむものです。
 久し振りに井伊家の菩提寺清凉寺で先生とお会いしました。西中学を卒業して何十年も経ちますが、今もかわらぬ雰囲気が嬉しく、時間の過ぎるのを忘れてお話をさせていただきました。

『𫞉廼四附』解読

細江正人 先生から私に『𫞉廼四附』の出版についてご相談があったのは、直弼公が書かれた原文の解読が終わった直後、2015年7月22日でした。「影印本」は原本全てを複写したもの、「翻刻本」は、先生が現代語訳に翻訳されたものです。何故、翻訳し出版しようと思われたのですか? 経緯をお聞かせください。

小田輝子先生 20年、もっと前のことになりますが、彦根城博物館に直弼公の和歌集『𫞉廼四附』二巻が展示されたことがありました。当時、誰も読んだことがなく内容を知る人はいませんでした。直弼公の文字は独特で解読も難しかったようです。それならば私がと思い、解読したいと彦根城博物館にお願いし、江戸時代のくずし字を読み下していきました。

細江 20年……と、簡単にお話になりますがたいへんな作業だったと思います。どのように解読を進められたのですか。また、何首の歌があったのでしょう。

小田先生 直弼公は五七五、或いは五七五七、と、途中まで詠んだものも書きのこしておられました。それを一首として数えるかどうか問題だったのですが、それらを含めて1030余首ありました。「翻刻本」にも、全て記しておきました。直弼公が15年余りを過ごされた埋木舎や江戸で詠まれた歌が多いように思います。
 今も月に一度『𫞉廼四附』解読会という勉強会を続けていますが、この解読会で直弼公の書かれた文字を一文字、一文字解読し読み下していきました。現代の文字に翻訳し、読むことができれば歌の意味も理解することができ、直弼公の小さな心の動きまで読み取ることができるようになります。

細江 月に一度の解読会ということは、一回で4〜5首を読み下して20年かかったということですね。私などは、気が遠くなってしまいます。

小田先生 直弼公の直筆を前にして、互いに意見を交換しながら、時代の背景を感じ取り、直弼公の心情にもせまることができます。それは喜びにも似て、気がつけば終わっていました。

変わる直弼公のイメージ

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細江 10月14日、井伊裕子さんが彦根城博物館で講演されましたが、その時直弼公について「政治家としてではなく、文化人として捉えると随分と違ったイメージの人物像が浮かんでくる」と、茶人としての直弼公について触れておられました。先生が出版された『𫞉廼四附』(「影印本」と「翻刻本」)は、歌人としての直弼公を知るうえで貴重な書籍です。直弼公は、歴史・文学・茶道・華道・能楽など、文武両道に興味をもたれ、それらの道にそれぞれ一派を立ち上げるほど精進されました。何事も原点に帰りとことん突き詰めなければ気が済まなかったのでしょう、私はその「努力する才能」に驚かされます。

小田先生 『𫞉廼四附』に収録されていない和歌も数多残っていますので、日記を書くように歌を詠み、書きためておられたのでしょう。直弼公は、人に対しては勿論、草木や名もない花にまで心を寄せる繊細な心をもっておられた人物であることを『𫞉廼四附』を解読しながら、強く認識することができました。
 埋木舎の柳を思いやった歌、清凉寺の牡丹や藤、玄宮園の彼岸桜など、現代に生きる私たちも感じることができるものも数多くあります。『𫞉廼四附』には、彦根城博物館の展示物について詠まれた歌もあり、博物館的な解説ではなくそれがどのようなものなのかを読み取ることもできます。直弼公の和歌に触れ、一人でも多くの人に、歌人(文化人)としての直弼公を感じていただければと思います。特に、若い人、子どもたちに伝えることができればと願っています。
 直弼公は安政の大獄を断行したことで、悪い印象を持たれています。公平な立場で歴史を学び、『𫞉廼四附』を読んでいただければ判ることですが、絶対に悪い印象を抱かれる人ではありません。

細江 先生のお話をお聞きして、観光のコンテンツに利用することができるのではと思いました。四季を愛でる『𫞉廼四附』を巡るコースなど、素敵ではないでしょうか。そのためには「翻刻本」を読み解釈しなくてはなりません。

小田先生 『𫞉廼四附』解読会に来ていただくのが近道です。毎月第1水曜日、彦根の西地区公民館で午前10時から12時まで開いています。新しい知識を得ると、今まで見えなかったものが見えてくるものです。

細江 来月は参加させていただきます。
今日は、どうもありがとうございました。

想うことなど:彦根城の世界遺産登録

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 国宝彦根城のユネスコ世界遺産登録に関して彦根商工会議所が80周年記念事業の一環として世界遺産検定やセミナーなど数多くの行事を開催され、いきなり関心が高まってきたようにも感じます。
 10月22日、彦根城博物館の能舞台で「ICOFORT(アイコフォート)国際会議 2018 in 彦根」の関連イベント「能 仕舞〜Noh Play」が催された日の夜、彦根城世界遺産登録 意見交換・応援1000人委員会の研修会が開かれました。  彦根城の世界遺産登録については悲観的に考える人が散見される中、この1000人委員会の私の後ろに座られた参加者からもネガティブな話が聞こえてまいりました。
 10年以上前のことになりますが、当時の商工会議所会頭が実行委員長となり彦根市長と共に国宝・彦根城築城400年祭開催に向けて、様々な事業に取り組んでおられました。ひこにゃんが誕生したのはそのころでした。商標権や著作権の問題などもおこりマスコミでもなんだかんだと取り上げられたこともあり一躍有名になりました。
 着ぐるみのひこにゃんの仕草がとても可愛かったことから一気に人気が上がり、いまや「彦根城」よりも「ひこにゃん」が有名になってしまいました。定期的に登場する天守前や彦根城博物館縁側、四番町スクエアなどへは今でもわざわざひこにゃんに会いに来ていただいている状況が続いています。
 実行委員長のこのときの言葉がとても印象的に残っています。「あかんあかんと言っていては何も前に進むことはない。何事も前向きに考えなくてはいけない」とおっしゃって進められた結果、国宝・彦根城築城400年祭は大成功裡に閉幕しました。
 今年と、昨年登録された日本の世界遺産は長崎県の「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」、福岡県の「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」など、キーワードがその普遍的価値を見事に言い表しております。近年は一言で言い表すそのコピーライトが決め手になるようです。
 江戸時代というのは国内で270年もの間戦争のない平和な時代でした。そのことは世界史上他に例を見ないとのことです。
 私はこのような戦争のない国を創り上げた城郭の全国各地のひな形となった、惣構えの彦根の城下町を一言で言い表すキーワードを見つけることで世界遺産登録の突破口を開くことができるのではないかと考えます。「あかんあかんと言っていては何も前に進みません」。専門の先生方にお任せするのではなく、みんなで世界に唯一無二の普遍的価値を言い表すキーワードを考えなくてはならないと思っています。

県外行政調査レポート

ハイブリッドER

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 今年の所属委員会が厚生・産業常任委員会であることから、調査でも先進的な事例を持つ病院を訪れることが多い。11月6日には鹿児島県鹿児島市の社会医療法人緑泉会米盛病院・畑 倫明外科部長にハイブリッドERについて説明をしていただいた。
 同病院は「一秒を救う。一生につなぐ。」をコンセプトに救命率の向上や後遺症が残る割合を減少させるため、CT室、血管造影室、手術室の機能を併せ持った救急室であるハイブリッドER(救急初療室)を整備し、救急患者の救命に努めているほか、民間医療用ヘリやドクターカーなどの機動力を活かした救急医療に取り組んでいる。さらに外国人患者の受け入れ体制の充実、大規模災害等等に備えた業務継続計画についてなどの説明を受けた。
 聞いて分かったことだが先生は近江八幡生まれ大津育ちの滋賀県人で、レジュメの最後に「我が愛する故郷、滋賀県にもこのハイブリッドERを導入してください」と熱望して締めくくられていた。

日本酒の誇りを世界へ

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 山形県天童市の出羽桜酒造株式会社を訪問し、営業部長兼社長室長の仲野賢さん、輸出担当長の鴨田直希さんにお話をお聞きする機会を得た。この酒蔵では吟醸酒という特別な日本酒を早くから手がけ「吟醸を世界の言葉に」をスローガンに、今日の日本酒ブームの先駆けとして実績を上げておられる。酒蔵出羽桜は、「文化としての『日本酒』の誇りを、世界へ」を合言葉に、国内でもいち早く1997年より本格的に吟醸酒の輸出を開始している。
 全国では日本酒の国内課税移出量の推移は、昭和48年が最大で176万キロリットル、清酒のシェア28%をピークに減少の一途をたどっている。平成27年度には55.4万キロリットル、清酒シェア6.3%になった。20歳以上80歳未満の人口で表すとピーク時の昭和48年度は23.7リットルが1人当たり年間飲酒量であったものが平成27年度には約4分の1の6.1リットルに落ち込んだ。酒造免許場(酒蔵)も昭和30年には4,021軒あったものが平成24年には1,517軒その後も合併などもあり、現在は1,300軒程度という。
 酒蔵出羽桜は、この状況に早くから危機感を感じ、地方の小酒蔵を中心に吟醸、大吟醸などという言葉の定着からはじめ、高付加価値の特定名称酒へ切り替えていった。
 全国平均は特定名称酒:30%・普通酒:70%のところ出羽桜では特定名称酒:85%・普通酒:15%という比率にまで特化していたが、地元のお客様に支持を得ていた従来からの普通酒を切り捨てることはしなかった。海外で評価を受けると国内での評価も上がるブーメラン効果がでるからだ。地元に愛され、地元の方々が県外に誇れるブランド力の確立、これらのことが値引しなくても販売できる力になる。
 こうした努力を続けるなかで、平成9年欧州(独・仏・蘭)向けから始め世界中へ売り込もうとする中、日本酒が大好きでたまらない人物にハワイで出会った。移送時間が長くて品質に影響することの課題解決など、信念を持って日本酒の普及に努めてくれたことからアメリカで飛躍的に販路の開拓ができることになった。「人とのご縁が大きな要素であることを痛感させられた」という。先を読み愚直に根気強く努力していると、良い出会いや運が向いてくるのだろう。
 滋賀県では平成28年度に「地酒でお客様をおもてなしする条例」を議員提案で制定したが、まさに地場産業としての滋賀県33の蔵元がそれぞれの特徴をだして近江の地酒のブランド力を高めていただきたいと願うものである。

精神障がい者雇用促進と職場定着

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 11月7日、福岡市中央区天神に本社を置く総合メディカル株式会社を訪れた。民間企業では障がい者の法定雇用率が基準値に達しないときは課徴金のペナルティがあるのに本年は国の機関から県の各組織まで不誠実な雇用率を示しており、ひんしゅくをかったニュースもあった。
 本年4月から、法定雇用率の算定基礎に精神障がい者が加えられ、今後、段階的に法定雇用率が引き上げられる。本県の平成29年中における実雇用率は、2.13%と全国平均(1.97%)を上回っているが、県が数値目標として掲げる法定雇用率達成企業の割合を高めるためには、精神障がい者の雇用促進に向けた取り組みが今後より一層求められる。
 そのような中、独立行政法人高齢・障害・求職者雇用支援機構が取りまとめた平成27年度の職場改善好事例集において、精神障がい者の雇用促進に向けた総合メディカル株式会社の取り組みが評価され、優秀賞に輝いている。同社の職務内容と勤務場所を複数組み合わせた勤務体制である「ハイブリッド型勤務」と、職場定着のために実践した関係機関との連携について調査を行い、今後の委員会審議の参考とするために調査したところ下図のような個人の特性に応じたきめ細やかなシフトを組むなど、独特の工夫がみられた。

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