ニューズレター

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2022年1月 9日発行

謹賀新年 2022

 皆さまにはお健やかに新年をお迎えのことと心よりお慶び申し上げます。
 新型コロナウイルス感染症は、未だ収束の見通しはたたず、昨年末、滋賀県は記録的な大雪に見舞われました。緊急事態宣言が解除になり、ようやく日常が少しずつもどってくるのかとホッとした矢先のことでした。ふわふわの雪と遊ぶ子どもたちの様子には心嬉しいものがありましたが、オミクロン株の感染拡大の予兆ばかりでなく、漠然とした不安が心に降り積もります。亡くなられた方々、今なお病に苦しんでおられる方々に対し、心よりお悔やみとお見舞いを申し上げます。また、現場でご尽力いただいている医療従事者の皆さま、裏方となり暮らしを支えている行政、ボランティアの皆さまに心から感謝申し上げます。
 何故、これほど不安なのか……。異常気象による自然災害や相次ぐ地震、かつては新聞やラジオ、テレビでしか知り得なかった情報が、インターネットの発達でリアルに飛び込んできます。そして、そのどれもが正確さを欠いているように思われてならないのです。どうすることが人として正しいのか、その答えはそれぞれ個人によって異なります。個人を優先させるのではなく、彦根は、湖東は、これからの滋賀は、そしてこの国は、と今までよりも少し公を優先し、自分の頭で考え行動することが、結果的に幸福につながる時代なのかもしれません。
 コロナ禍を「できない」「先送り」「諦める」理由にするのではなく、非接触・リモートという新しい時代の到来を「どうすれば実現できるのか!」。私たちはその時代の真っ只中に生き、ふわふわの雪と遊ぶ子どもたちに、安心して暮らすことができる世界を何があっても残さなければなりません。  2022年の十二支は「寅(虎)」。英雄・豪傑など、勢いの盛んなものを例える「龍虎」、「虎に翼」や「虎に角」などは、ただでさえ強い力にさらに威力が加わることのたとえです。
 今年は、果敢に挑戦する年です。私も老兵死なず去るのみの心境ですが、あと少し頑張ります。ご支援、どうぞよろしくお願いいたします。

細江正人

対談 うえの賢一郎衆議院議員と

未来への節目のとき

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細江正人 昨年の衆議院選挙では、ご当選おめでとうございました。いままで4度の選挙で、うえのさんを応援させていただきました。その間、少しずつ自然に応援の人が増えて、地域での活動の実績が認められているのだなと実感しております。

うえの賢一郎議員 選挙では彦根市・犬上郡、近隣の皆さまにもたいへんお世話になりました。ありがとうございました。今回、全体として一万票近くも増えたのは、ご支援いただいた皆さまのおかげで、当選させていただけたのだと思います。特に彦根では、前の選挙から4年間の活動が結果につながったと私自身、喜びに堪えません。感謝の気持ちでいっぱいです。

細江 自由民主党とともに、うえの賢一郎さん自身の活動を大事にされているなという気がします。

うえのさん いろいろな人、地域のさまざまな実情がもっと見えるというか、情報が集まるようになればいいなと考えています。そういう意味ではまだまだです。メールやSNSは便利ですが、私自身の活動を知っていただくだけでなく、今、経済がどうなっているのか、地域の皆さんがどんな暮らしをしているのかを、リアルに知ることの方がずっと大切です。「ああ、なんとなく」というイメージではだめなんです。大事なのは、この先「何をするのか」「何ができるのか」でしょう。いろいろな政策課題を抱えていますから、しっかり取り組みたいと思っています。

細江 滋賀県、あるいは湖東、彦根にとって中央から俯瞰すると、今後どのようなことが課題になるでしょう。

うえのさん 国宝・彦根城の世界遺産登録を成就させることは、滋賀県にとっても彦根にとっても未来が変わる重要なポイントであることは確かです。2025年には国民スポーツ大会・障害者スポーツ大会が滋賀県で開催されます。2026年は大阪で万博が開催される予定です。特に彦根市及び近隣の市町にとっては「節目のとき」といえるのではないでしょうか。インフラ整備も含めて、応援させていただかなくてはと、心を決めております。  国スポ、障害者スポに向け、国道8号線バイパスの具体的なルートは今年度中にはお示しできるはずです。約1500億円をかけた大きな事業です。着実に進められるよう努力したいと思っています。  多賀のスマートインターは上りは令和4年度の開通予定です。彦根ICから古沢町へのトンネルは令和6年度、米原バイパスは国スポまでには完成すると思います。それに、安食川や芹川の治水対策も後押しできるように頑張ります。芹川は市内中心部を流れていますし、消防団の経験のある細江さんに先頭にたっていただきたい。

細江 市内の交通環境はまだ充分ではありませんが、40年ほど進捗がなかった都市計画道路立花船町線は窓口を開いていただき一気に解決しました。国土交通政務官を務められたご経験もあり心強いです。

うえのさん 今後も市町と経済界の皆さんの力を結集して、和をもって進めることができればと思っています。

国宝・彦根城の世界遺産登録

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うえの賢一郎衆議院議員

細江 「世界遺産登録とは何かと問われたら、私は、『人類の歴史の1ページに刻まれることである』と答える」と、滋賀県の彦根城世界遺産登録推進室の鈴木達也さんが、彦根商工会議所の会報に書いておられました。
 純粋で奥深い言葉だと思いました。登録申請は学術的なことですから、専門家にお任せするしかないのですが、私たちは国宝・彦根城の世界遺産登録を彦根市だけでなく滋賀県全体で精一杯盛り上げていくことができるよう動いています。議員研修に、日本のお城好きで歴史愛好家のクリス・グレンさんを招聘し、彦根城の魅力や価値について講演いただいたのもその一環です。
 世界遺産登録は彦根市だけでなく、滋賀県の経済振興、観光振興、教育や文化の振興にも関わってきます。登録を目的とするのではなく、その先にある未来を構想し、施策に反映していかなければなりません。

うえのさん 昨年11月17日に、湖東・湖北5市4町の商工団体と観光団体などで「世界遺産でつながるまちづくりコンソーシアム」が設立されました。市町を超えて新しいツーリズムに取り組む良い機会でもあります。国がユネスコに世界遺産として推薦できるのは毎年一つです。国が彦根城を申請するという段階になれば、滋賀県だけでなく関西、あるいは文化観光に造詣が深い議員を結集して、国を挙げて応援できるよう議員連盟を立ち上げるつもりです。

細江 湖東・湖北、広域で楽しんでいただける環境づくりが大切です。
 世界遺産登録には、①「どのような価値があるかの証明」、②「どのように守っていくのかの計画」、そして③「世界遺産を通してどのようなまちづくりをしていくのか」の3つが問われるそうです。世界遺産都市として、持続可能なまちづくりが問われているということです。

うえのさん  世界遺産登録を通して「彦根がどうかわっていくのか」、皆さんがどういった気持ちで暮らしておられるのかが大切で、住んでいるところに自信や誇りをもっていただき、それが地域社会に良い循環をもたらす方向に向かっていく手段であればいいと思います。インフラ整備は、基本的な条件やコンディションを良くするということです。  人口減少社会の都市間競争も激しくなりますから、このまちをどう考えるか、地域を活性化するには何をすべきか、県や市のリーダーシップが大切になってきますね。

彦根藩足軽組屋敷

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細江 彦根の城下町には、木戸門を構えた庭付き一戸建てで小さいながらも武家屋敷としての体裁を整えた「足軽組屋敷」が残っています。世界遺産登録の構成資産ではなく、彦根城を取り囲むように彦根城の外堀のさらに外側バッファゾーンにあり、江戸時代には700軒ほどの足軽組屋敷が、一間半(2メートル75センチ)の路地に軒を連ねていたといいます。狭い道路のあちこちに昔の佇まいが残っています。また、彦根藩の足軽は他藩と異なり「世襲制」なのが特徴です。
 彦根の景観を住民とともに考え、守り育て、未来に向け働きかけていくことを目的に、彦根景観フォーラムというNPO法人が活動をしていて、住民憲章や防災地図を作成しています。また、住民の方々の防災への力の入れ方も半端ではなく、意識向上のためにどの家も赤いバケツが置いてあります。このようなコミュニティの存在が私は素晴らしいと思うのです。

うえのさん  二重の堀で囲まれた空間の中に、天守が残り、庭園が残り、御殿や重臣屋敷などがあった範囲全体が保護されている。更に、その外側に足軽組屋敷があり、「彦根城を見れば江戸時代の政治体制が分かる」、幕藩体制のまさに名残、しかも今もそのまちに暮らしがあるのですから、凄いことですよね。

わくわくする地域に!

細江 琵琶湖と鈴鹿の山々に囲まれた自然豊かなまちに、世界の歴史の1ページとして刻まれた江戸時代のハードが残り、当時のアプリケーションを知ることができる。4年制大学が3つ存在し、歴史都市、学研都市のイメージです。

うえのさん これからの彦根を考えた場合、何が大切かいろいろな思いがあると思いますが、全国的にも注目されるビッグデータを扱うデータサイエンス学部が滋賀大学にあります。湖東地域の製造業の比率は高く、伝統的産業は新しい時代の産業への事業転換も必要です。
データサイエンスを学んだ人材が、新しいアイデアを提供し、地元の企業とコラボすることができれば、新しいビジネスの可能性が生まれます。その芽をどのように育てていくのかが大切です。子どもたちの教育にもいい影響が出てくるといいですね。

細江 大規模集落遺跡・稲部遺跡(稲部町・彦富町)から発掘された矢入れ「靫(ゆき)」は日本最古と判明し、多賀町の「アケボノゾウ化石多賀標本」は国天然記念物に指定されました。また、「石田三成公を大河ドラマに!」という動きも活発化しています。彦根の新しい個性をどう磨き上げていくのかが課題です。

うえのさん  地域の未来にわくわくできるかどうかの節目なのですね。

彦根藩善利組足軽組屋敷

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旧磯島家住宅に隣接する辻番所

 彦根城下の足軽屋敷は、城下町のもっとも外側に、城下を取り囲むように屋敷を連ね、彦根城と城下町を守る役割を担っていました。彦根藩の足軽は、慶長期(~1614)に中藪組6組と善利組12組が設置されたのを皮切りに、元和期(1615~1623)には加増に伴う足軽増強により善利組8組と上組1組を設置。同様に寛永期(1624~1643)には、切通組3組・中組4組・上組2組がそれぞれ新たに設置されました。
 中でも善利組は外堀と善利川(芹川)の間の東西約750m、南北約300mを占めました。幕末期には戸数およそ700を数えました。
 道筋は南から北へ1丁目~15丁目に区分され、大辻通りと中辻通りを設け、両者が交差する辻の要所に辻番所を設置して、辻の監視も行っていました。辻番所は辻に若干張り出しており、辻を睨むように監視窓が備えられていました。現在、絵図などで確認される辻番所の数は、足軽屋敷全体で36戸、善利組では20戸であり、総数は足軽組の数とほぼ同数です。ただ、現存するのは善利組足軽組屋敷である旧磯島家住宅に隣接する辻番所が唯一であり、全国的に見ても極めて稀で貴重な建造物といえます(彦根市文化財解説シートより)。
 現在、辻番所の会は芹橋二丁目まちづくり懇話会と連携し、歴史的な街並みを保全しながら防災・空家・高齢化・地域の課題に取り組み、魅力ある芹橋を目指して活動しておられます。

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